<万葉集>
葛飾の真間の浦廻(うらみ)をこぐ船の船人騒ぐ浪立つらしも
(下総の国の歌、巻第14の3349)
葛飾の真間の手児名(奈)をまことかも吾(われ)に寄すとふ真間の手児名を
葛飾の真間の手児名がありしはか真間の磯辺(おすひ)に波もとどろに
にほどりの葛飾早稲をにへすともその愛しきを外に立てめやも
足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ
(下総の国の歌、巻第14の3384〜7)
<高橋虫麻呂>
鶏(とり)が鳴く 吾妻の国に 古(いにしえ)に
ありける事と 今までに
絶えず言ひ来る 勝鹿(葛飾)の真間の手児奈が
麻衣に青衿著け直さ麻を裳には織り著て
髪だにも掻きはけづらず
履(くつ)をだに穿(は)かず行けども
錦綾(にしきあや)の中に裏(つつ)める斎児(いはひご)も
妹(いも)に如(し)かめや
望月の満(た)れる面(おも)わに花の如
咲(え)みて立てれば夏蟲の火に入るが如
水門入(みなといり)に船こぐ如く
行きかぐれ人のいふ時
いくばくも生けらじものを何すとか
身をたな知りて浪の音の騒ぐ湊の奥津城に
妹がこやせる遠き代に ありける事を
昨日しも見けむが如も念(おも)ほゆるかも
(巻第9の1807)
<解説>
東の国に、古くから言い伝えられている葛飾の真間の手児奈は、麻衣に青衿をつけ、純麻の裳を着て、髪もとかさず、履き物もはかずに素足で歩くのだが、その美しさは錦綾の中につつまれて大切にされている娘子もとうてい及ばないほどだ。
満ち整っている面顔は花のごとく、笑みを浮かべれば、夏虫が火を求めて入って来るように、あるいは船が港に集まってくるように、多くの男たちにいい寄られたことだろう。 手児奈は人のいくばくも生きられぬことの身のほどを知ってか、波の音の騒ぐ湊の、この奥津城に入水死したという。 この遠き世にあったことは、まるで昨日の、まだ新しいことのように思えてくることよ。
(反歌)
勝鹿の真間の井を見れば立ち平(なら)し水汲(く)ましけむ手児奈し念(おも)ほゆ
(巻第9の1808)
<山部赤人>
勝鹿の真間の娘子の墓を過ぎし時、山部赤人の作れる歌一首
古にありけむ人の倭文幡(しづはた)の帯解き交へてふせ屋立て妻問しけむ
葛飾の真間の手児名が奥津城を此処とは聞けど真木の葉や茂りたるらむ松が根や
遠く久しき言のみも名のみも吾は忘らゆましじ
(巻第3の431)
(反歌)
吾も見つ人にも告げむ葛飾の真間の手児名が奥津城処
(巻第3の432)
葛飾の真間の入江にうちなびく玉藻刈りけむ手児名し思ほゆ
(巻第3の433)
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